一介の中年オヤジが突然コイン蒐集に目覚め、その時代を捜し歩く。 「古銭蒐集は貴族の趣味である」とはよく言ったものだ、と遅まきながら反省してる・・・・。取敢えず、タイからスタート。

2007年1月28日日曜日

29.今は無き周辺の植民地貨幣 英領その3 


前項マレー半島で名称変更したMALAYAという植民地の貨幣。1939-1952。この間1942-1945まで日本軍の占領下。終戦後、再びボルネオを含めたMALAYA & BRITISH BORNEOという英国領に復活。左は5CENT、中央は1CENT、右は参考までに同時代の英領インドの1/2ANNA。表は3枚ともGEORGE 6世(在位:1936-1952)。左の5CENTは1945まで銀製だったがこの1948のみ銅ニッケル製。中央1CENTは青銅製で第二次大戦直後の混乱がうかがえる。右の英領インドの1/2ANNAは青銅ニッケル製。
1942年2月に日本軍がシンガポールを占領した直後、約1ヶ月にわたって多数の華人・華僑を殺害したとされるシンガポール華僑虐殺事件が発生。マレー半島全体では、日本政府の見解で4-5千人、現地では4-5万人とも言われる犠牲者。当時の日本軍の一部に、中国で苦戦しているのは華人による中国本土への援助が原因でありアジア各地の華人を排除して援助を断とうという考え方があったらしい。日本軍はこの華人・華僑摘発に際し短期間で抗日分子を発見できないため、現地の一将校の判断で「インテリ(眼鏡をかけている、教員・銀行員)だから抗日」が摘発の理由とされたとの証言。千人単位で海岸に連行し一斉に機銃掃射を浴びせたとのこと。カンボジアの「赤いクメール」と同じ発想か。この地域が1963年マレーシアとして独立後、マレー人優遇政策の政府と華僑が大半を占めるシンガポール島住民が衝突。政府が切り捨てる形で1965年シンガポールが独立。独立闘争にはシンガポール共産党が主役を演じたが、独立後シンガポール新政府は一転して共産党を弾圧一掃し開放政策を邁進。
一方で復員しなかった日本兵が各地の独立義勇軍に支援・参戦したため、欧米列強から独立できたのは日本人のお陰との発言も残っているとのこと。ただし華人を除く。

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